リンダ・ボーン先生の代役として

2017年05月28日

リンダ・ボーン先生が今年の500を欠席されるとこのとなので、代役としてこの画像を貼っておきます。
リンダ・ボーン先生のフィギュアとサインがポイントな、1972年のインディ500ペースカー、オールズモービルのプラモデルです。

1972年のインディ500は・・・
  マーク・ダナヒューがペンスキーのマクラーレン・オッフィーで優勝
  ゲストとして見に来ていたジム・ネイバースさんが初めて”Back Home Again in Indiana”をリハーサルなしのぶっつけ本番で歌わされ、以後2014年まで伝統となった
そんな年でした。

ボーン先生の回復を祈念し、第101回500の放送を楽しみにしつつ。

チルトンのお父さんが・・・・

2016年02月11日

チルトンのお父さんがAJGの英国法人のCEOです。お父さんは2012年まで保険会社のAonの役員で、当時のチルトンはAonのロゴがついていました。

テキサスのフライバイ

2015年06月07日

すみません。今回は移動中で、ライブで見られませんでした。

フライバイは、
  双発の輸送機ダグラスC-47 スカイトレイン 1機と
  単発の練習機ノースアメリカンT-6テキサン 2機と
  スモークを引いていたのがやはり単発の練習機ノースアメリカンSNJでした。


現地は6月6日の夕方で、1944年のノルマンディ侵攻の記念日でした。
そのため、この侵攻作戦でも空挺部隊の移動や物資輸送などで大活躍したC-47スカイトレインが選ばれたのだと思います。
飛行したC-47の主翼と胴体には白黒のストライプがありますが、これは「インベイジョンストライプ」といい、ノルマンディ侵攻作戦に参加した連合軍の全航空機に味方識別用として描かれたストライプでした。
C-47は、名作旅客機ダグラスDC-3の軍用輸送型でした。
DC-3は、放送中でご指摘の通り「ダグラス・コマーシャル」で、ダグラス社の商用機の3種類目という意味です。

T-6テキサンも第二次大戦前から戦後に使われた名作の高等練習機で、
アメリカ陸軍航空隊(のちの空軍)ではAT-6とされ、
アメリカ海軍ではSNJとされました。
今回左右にいたのはAT-6、中央でスモークを引いていたのがSNJでした。
このAT-6とSNJは「テキサン」という名前があり、それは「テキサス人」という意味です。この地でのフライバイにふさわしい選択でした。
イギリス空軍とカナダ空軍では「ハーバード」と呼ばれ、
日本の航空自衛隊と海上自衛隊でもテキサンが使われました。

というわけで、肝心なときにいなくて、すみません!

いやあ、本当に勉強になります。小倉様、情報提供ありがとうございました。

「雨のインディ最高!」というブーメラン

2014年07月28日

いつも楽しく拝見しております。
アラバマ戦で「雨のインディ最高!」とTweet したものです。
まさかそれがトロントでブーメランのように自分に返ってくるとは。
「雨のインディ最高」と言ったのは覚えていたのですが、トロントのときのスタジオでそれを指摘されたときには、なんとなくはぐらかしてしまいました。ゴメンナサイ!
「ブーメランになって帰ってきた」というのを認めてしまうと、また日曜日もこれからも ブーメランがループになって戻ってきて、降雨順延になるような胸騒ぎがしたので・・・・。

トロント・レース1は降雨中断、翌日順延でしたが、すっかり楽しませていただきました。
良いレースが見られることが第一ですが、
もし雨で中断になっても「いつでもこい!」という気分です。
ご覧くださったみなさんが楽しんでいただけたのならなによりです。

あらためて、はっきり宣言します。
「GAORA INDYCARは雨のときも最高!」


ブーメラン、本当はライアンかウィルにピッタリな・・・・

ジョン・メルヴィン博士(長文の弔文)

2014年07月21日

トロント・レース2の放送のなかで、現地コメンタリーでは先週お亡くなりになった人物としてレポーターのかたや俳優のジェームズ・ガーナー氏とともに、17日木曜日に他界されたジョン・メルヴィン博士のことも触れられていたので、それを一言だけ日本語でも伝えました。でも、大きな功績を残された先生なので追加情報を書かせていただきます。

1986年にGMがイルモア・シボレーV8でインディ500に復帰する際、自社ブランドのついたマシンで死亡事故が起きるのを嫌い、参戦決定と同時にインディ500の安全向上のための研究も独自に始めました。その担当となったのが当時GMの安全研究スタッフだったジョン・メルヴィン博士でした。
メルヴィン博士は、インディ500でのクラッシュに関する映像、画像、レポート、医療データなどあらゆる資料を可能な限り収集しました。その膨大な資料を分析したメルヴィン博士は、人間はどの部分に、どの方向に、どれだけの衝撃(G)を受けたらどこまで耐えられるのか、あるいはどれだけの傷害を受けるのか、ということが科学的にわかるようになりました。

このメルヴィン博士のデータはその後さらに有効活用され、GMとIRL(現インディカー)とのADR(事故データ記録装置)、大型ヘッドレストなどのドライバーの安全向上に装置の開発と実現に活かされていきました。

さらにメルヴィン博士はGMから独立して安全技術コンサルタントとなり、インディ500以外の事故データも収集、記録、検証。そのデータと見識はインディカーのみならず、90年代以降のF1などFIAの安全研究、さらにはNASCAR、NHRAの安全向上にも活かされました。とくに、クラッシュテスト、衝撃吸収構造、HANS、ロールケージ、NASCARやラリーカーのヘッドレスト付き安全シート、SAFERバリアなどの研究開発と導入には、メルヴィン博士のデータや助言や協力が大いに役立ちました。

博士は、SAE(アメリカ自動車技術者学会)のMSEC(モータースポーツ技術者学会)の安全部会でも中心的なメンバーの一人で、IRLとCART(現在は統合されてインディカー)、FIA、NASCAR、NHRAとの安全技術でのつながりと交流を促進させたキーマンであり、世界中のモータースポーツの安全向上に多大な役割を果たしました。また、博士がまとめたクラッシュの衝撃と人間の生存にかんする研究データは、市販車でも各国のNCAP(衝突安全評価プログラム)の策定のもととなり、今日の私たちが乗る自動車の衝突安全向上実現の重要な基礎にもなりました。

「XXX(ドライバー名)のケースでは、事故の衝撃で頭が前方に投げ出された結果、頭蓋底が外側に折れたことで神経が断裂したのが死因だった」などと、トマトソースがたっぷりのイタリア料理やケチャップをいっぱいかけたポテトチップを食べているときに明るくはっきりした声で事故の事例をしゃべって隣のテーブルから苦情を出されたりとか、とにかく豪快な人でした。みんなを集めてぐいぐい引っ張っていく、いかにもアメリカンなリーダータイプで、仲間をとても大切にしてくれる人。僕たちにとって大切な師であり、素晴らしい友でありました。

多くの命を守ってくださり、ありがとうございました、メルヴィン先生。

MSEC2006
2006年SAE-MSECでの安全パネルディスカッションで
画面右から
スティーヴン・オルヴィー博士(元Champcarチーフ医療オフィサー)
テリー・トランメル博士(インディカー医療チーム)
●ジョン・メルヴィン博士
ヒューバート・グラムリング博士(FIA技官)
スティーヴ・ピーターソン氏(NASCAR・安全技術担当役員)
アンディ・メロー博士(FIA技官)
この撮影を仕切ってまとめてくれたのもメルヴィン博士でした。