インディカー参戦100レース目を迎える佐藤琢磨

2015年07月30日

Indycar.comのトップに100レース目を迎える琢磨選手の記事が掲載されています。

http://www.indycar.com/News/2015/07/7-29-Sato-to-make-100th-Indy-car-start

琢磨選手はその昔、父親と一緒ににインディ500をTV観戦したときのことを思いだし、
「子供の時にF1よりも先にTVでインディ500を見ましたが、その速さに驚かされました。」と語りました。

1987年の鈴鹿でのF1レースを父親と観戦したのが10歳の時。その時受けた衝撃がレーサーになる意思を固めたといいます。

「あまりにもエキサイティングでずっと立ちっぱなしでした。それ以来レースのとりこになってヨーロッパに渡ってF1に参戦することが目標になりました。」

それ以来、インディ500とF1という目標を掲げてきた琢磨選手はF1参戦を実現するとともにインディ500にも参戦を果たし、ついにはこの週末にインディカーレース通算100レース目を迎えます。

現在はインディカーシリーズにただ一人フル参戦し、日本人として唯一優勝もしている佐藤琢磨選手。今年は参戦6年目を迎え、トップ10フィニッシュを3回記録し、デトロイトレース2では15位スタートから2位表彰台に上がっています。

琢磨選手がモータースポーツの世界に足を踏み入れたのは、初観戦のF1でゲルハルト・ベルガーの優勝シーンを目にしてから10年近くも後のことでした。

1996年に大学生になってからレーシングカートをはじめると翌年には関東選手権で優勝。その後は雑誌で見つけた鈴鹿サーキット・レーシング・スクール・フォーミュラに入学し全日本F3選手権参戦のスカラーシップを獲得。ヨーロッパ挑戦への足ががりをとなりました。

その後はヨーロッパへ渡って、2001年には英国F3選手権にカーリンモータースポーツから参戦してチャンピオンを獲得。2002年のジョーダン・ホンダからのF1デビューへとステップアップしてゆきました。

2004年のインディアナポリス・モータースピードウェイでのUSグランプリでは3位表彰台に乗り、年間ポイント8位となり、2006年からは鈴木亜久里氏が立ち上げたスーパーアグリF1チームからF1参戦を継続しました。

しかし、2008年シーズン途中でに財政破たんでチームは解散、シートを失うことになりました。F1では90レースの出走でした。

1年以上の浪人生活の後、転機が訪れたのは2009年にインディ500を初観戦した時。目の前で疾走する実際のインディカーを見て度肝を抜かれたとのこと。

その2009年には水面下では、元HPD社長のロバート・クラーク氏とインディ500チャンピオンでF1テクニカルアドバイザーを務めていたジル・ドフェランが手を組んで新たにインディカーチームを立ちあげる準備をしていて、そこに琢磨選手が加入するのではないかという動き(DVDに収録?)が実際にありました。

それと同時に元CARTシリーズチャンピオンのジミー・バッサーからもチーム加入の誘いもありました。

体制としてはどちらも申し分ないものでしたが、実績という点で準備段階にあったドフェランレーシングは判断基準から外れ、KVレーシングテクノロジーへの加入が決定的となりました。その正式発表があったのは2010年2月になってからです。

「F1レースカーは馬力やダウンフォースがあって車重も軽くて最先端装備が満載されています。しかしレースという部分ではインディカーの方が面白いです。しかもインディカーには誰にも優勝のチャンスがあります。ワンカー体制の小さなチームにもです。これはインディカーの醍醐味で、レースが非常に激しいです。さらに色々なコースがあってレースをよりエキサイティングなものにしています。」

インディカーレースへの参戦は決してF1復帰へのつなぎではありませんでした。

「インディカーへの参戦を決めたとき、中途半端な気持ちではなく、全力を尽くすことを決意しました。1年そこそこの短期なものではなく長いスパンで戦う決意でした。結果的にはインディカー参戦はキャリアの中で一番長いものになっています。AJフォイトレーシングに加入して3年目に100レース目を迎えられることに感謝しています。」

「インディ500での優勝とシリーズチャンピオンを狙っています。2012年のインディ500では優勝まであと一歩でした。これまでも優勝のチャンスは幾度もありましたし、体力も気力もまだまだ若手に負けません。300レース出走はムリかなあ・・・。でもまだまだ行きますよ!」

100レース目を迎えてまだまだ勢いの加速する佐藤琢磨選手。当分我々の寝不足は続きそうですね。