ミッドオハイオとレイホールとジム・トゥルーマン

2015年08月05日



ミッドオハイオ戦で優勝したグラハム・レイホール。今回の優勝はレイホール家にとってさまざまな意味のあるものでした。

まずはオハイオ州はレイホール家の地元です。父親のボビー・レイホールもこのミッドオハイオで1985年と86年に優勝しています。

このミッドオハイオ・スポーツカーコースを作ったオハイオ州出身の故ジム・トゥルーマンはボビー・レイホールの師匠でもあり恩人でもあります。

F1をはじめとする様々なカテゴリーに乗っては成績が残せず、苦労が続いていたボビーはトゥルーマンがオーナーのトゥルースポーツに1982年に加入しました。

そしてCARTインディカーシリーズに参戦を開始するといきなり2勝を挙げてランキング2位になり、1986年にはインディ500を制してシリーズチャンピオンにもなりました。

このインディ500優勝はトゥルーマンにとっては悲願の初優勝で、この時にすでに末期がんであったトゥルーマンは優勝のミルクをビクトリーレーンで自ら味わうと、その10日後に亡くなりました。その年にレイホールは初めてのシリーズチャンピオンにもなっています。


なので、ボビーの86年のミッドオハイオでの優勝はまさに凱旋勝利であり、亡きトゥルーマンにささげる優勝でした。その時は相当盛り上がったでしょうね。もちろんグラハムは影も形もなかったのでその盛り上がりを知る由もないでしょうが、今回ボビーはその時のことを大いに思い出していたと思います。


1991年からトゥルースポーツは独自シャシーの開発にも着手し、レイホールが独立してチームオーナーとなったあともトゥルーマンに恩を感じるレイホールは義理堅くも1993年の途中まで独自シャシーを使い続けていました。このオリジナルシャシー開発スタッフの一人が、現在琢磨選手のエンジニアを務めるドン・ハリデイでした。

しかし、1993年はロングビーチで2位になったもののインディ500で予選落ちにおわり、それ以降はローラシャシーに乗り換えています。

最高の晴れ舞台で優勝してチャンピオン争いに真っ向から挑むことになる自慢の息子の活躍ぶりを亡き師匠に報告できて最高に鼻高々で輝いていたボビー・レイホールでした。


レイホール家のキャリアを振り返ると今回のストーリーは本当に「ええ話やないかあ」なのです。