アレシンがインディカーシリーズに復帰

2015年12月11日



28歳のロシア人、ミカエル・アレシンが2016シーズンはシュミットピーターソンモータースポーツからフル参戦することが発表されました。

アレシンは2014年シーズンはシュミットピーターソンモータースポーツ(SPM)からフル参戦しながらも最終戦のフォンタナでファイナルプラクティス中にクラッシュして脳震盪を起こし、欠場を余儀なくされました。16戦に参戦して最高位はヒューストンレース2での2位でした。

2015年シーズンはヨーロピアンルマンシリーズのLMP2クラスに参戦していましたが、最終戦のソノマGPにスポット参戦して予選14位から10位フィニッシュにしています。

2014年のヒューストンレース1では周回遅れながらも佐藤琢磨選手と接触してともにDNFに終わり、「コンウェイが悪い・・・・」と発言して2014シーズンの流行語大賞を僅差で取り逃したのは記憶に新しいところです。

http://blog.gaora.co.jp/indy/2014/09/11206

ヒラシマ・タケオ(Takeo ‘Chickie’ Hirashima)を知っているか?

2015年12月10日



上の写真、ミルウォーキー戦のNBCSNのオープニング画面にあるのを再発見しました。
おそらく1935年のミルウォーキーマイル。

左はドライバーのレックス・メイズ。その隣はライディングメカニックのヒラシマ・タケオ(Takeo ‘Chickie’ Hirashima)さんです。

ヒラシマ”チッキー”タケオさんは1912年カリフォルニア州グレンデール生まれの日系2世。手先の器用さと小柄で軽い体重が認められてトップ・ドライバーだったレックス・メイズのライディングメカニックに起用されて、1935年のインディ500ではポールポジションを獲得しました。

レースでは89周をリードするもののサスペンショントラブルで17位に終わっています。

ヒラシマさんはその後は1946年に戦後再開後初めてのインディ500でジョージ・ロブソンのチーフメカニックとエンジンビルダーを務めて見事優勝しています。

下はヒラシマさんがビクトリーレーンに立った当時の写真です。ドライバーの右側に立つのがヒラシマさんです。(クリックで拡大)

Photo:IMS

その後もトップエンジンビルダーとして活躍し、1955年56年59年60年のインディ500でヒラシマさんがチューニングしたエンジンを搭載したレースカーが優勝し、その腕前は”マジックハンド”と呼ばれたそうです。

下は1960年インディ500を優勝したジム・ラスマンとその左にヒラシマさん。(クリックで拡大)

Photo:IMS

戦時中は強制収容所に入れられ,日系アメリカ人で構成された第442連隊戦闘団に入隊。ヨーロッパ戦線に派兵されるなど、厳しい時期を過ごしたそうですが、1998年にはインディアナポリスモータースピードウェイの殿堂入りを果たしています。

1998年にはテレビ朝日のディレクターとして現地にいましたが、ちょうどヒラシマさん殿堂入りの発表が行われ番組内で取材した覚えがあります。

追記:
すがやみつる先生がヒラシマさんを論文のテーマにしているのを発見しました。
ヒラシマさんに関する詳しいお話が見られます。すがや先生さすがですね。
https://note.mu/msugaya/n/nd2143485aac0

みんなが(独断で)選ぶ2015シーズン名シーン⑤

2015年12月09日

ででさんが選んだ
いつかの予選でのエリオが出走できなかった場面。


クルーのミスで予選出走締切時刻に間に合わず、規定により予選出走が許されず最後尾スタートになりました。

ルールでは予選出走順の前半分は予選出走時刻の20分前に、後ろ半分は10分前に車検を終えて予選ラインに並ばなければなりません。これが去年までは前半分は30分前、後ろ半分は15分前でした。

予選の出走順は前日にくじ引きで決められ、エリオはこの日は14番目の出走でした。

おそらくクルーは今年はルールが変更になっていたことを忘れていた可能性があります。

ポイント5位にいたエリオは結局、最後尾スタートとなりましたが、レースはサイクルスルーのレースとなって作戦が大きく分かれ、最終的には2位フィニッシュしました。

ミルウォーキーの映像を確認したらひとつBLOGネタができました。明日書きます。

9年前の写真を発掘

2015年12月09日



2006年11月とあるので、WTCC最終戦マカオギアレースの生放送前ですね。

今はスーパーGT代表の坂東さんが「解説やりたい」とおっしゃるので大阪まで来ていただきました。

坂東さんは自分のチームで90年代に、打倒BMWワークス目指してマカオギアレースに乗り込んで行ってた時があり、マックス・アンジェレッリを擁して挑みながらも2年連続2位に終わるという悔しい過去があります。

なので、BMW提供の番組だったにもかかわらず、ひたすらBMWへの恨み節を語り続けるという不思議な解説になっていました。

10年前の写真を発掘

2015年12月08日





2005年9月18日撮影とあります。
松浦孝亮選手参戦2年目。テキサス戦あたりの収録でしょうか?
もう10年も前です。