ニューガーデンがECRを離脱

2016年09月30日



25歳のアメリカ人ドライバー、ジョセフ・ニューガーデンは現地9月29日に2017シーズンはエドカーペンターレーシング(ECR)で走らないことを公表しました。

チーム代表のエド・カーペンターは「彼が出ていくことは残念だが、数週間前からのことで今更サプライズはない。彼には今後はベストな道を歩んでほしいし、我々も来シーズンへ向けてチームを強化して、期待に応えられる成績を残していきたいと思う。」と語っています。

ECRは2012シーズンからインディカーシリーズに参戦し、3人のドライバー(Eカーペンター2勝、Mコンウェイ2勝、Jニューガーデン3勝)によって通算7勝を挙げています。

2017シーズンに関してはEカーペンターがオーバルのみ#20で参戦することがすでに決まっていますが、その他に関しては後日発表するとしています。

流行語大賞の次は「あなたが選ぶ名場面」です

2016年09月29日

現在は流行語大賞ノミネートを募集中です。

「あなたの選ぶ名場面」は流行語大賞決定後に行います。
なので、今回は「流行語」に限ってノミネートを受け付けます。

よろしくお願いいたします。

“カップカー試乗会レポート” on GAORA SPORTS

2016年09月26日

8月28日放送の「テキサス戦」の中継放送内で、「GLOBAL MX-5 CUP JAPAN」カップカーのローンチと試乗会の模様がレポートされました。

マツダレーシングのドライバーでカップカーの開発を担ったトム・ロング選手のドライビングとホットなコメントは必見です。

実況解説の黒澤琢弥さん、レーサー鹿島さんの興味津々な様子からも「GLOBAL MX-5 CUP JAPAN」への期待感があふれています。

お見逃した方は是非ともどうぞ。
https://www.mx-5cup.jp/gallery.html

セーフティーチームのイェイツ氏がリタイヤ

2016年09月25日



インディカーのトラックセーフティーオペレーションマネージャーでホルマトロセーフティーチームのリーダーを務めるマイク・イェイツ氏が来シーズンはシリーズに帯同しないことになりました。

66歳になるイェイツ氏はインディアナ州のウォーレンという町で15年間消防士を務めた後、IMSの専任スタッフとなりました。ダニー・サリバンがスピン&ウィンでインディ500を制した1985年。イェイツ氏はマリオの前でサリバンがスピンするのを当時の持ち場だったサウスシュート(ターン1とターン2の間)の待機所で目撃していました。それから、すでに36年が経過しましたが、その間ずっと、イェイツ氏の姿はレーストラックにありました。


その長い間、イェイツ氏は消防隊員、救命士として数々の現場に居合わせ多くの命を救い、時にはかなわぬつらい時を経験しながらも名もなきヒーローとして現場で活道を続けてきましたが、その時が来たと覚悟を決めたようです。

イェイツ氏は来シーズンからはシリーズには帯同しませんが、インディアナポリスモータースピードウェイ
で開催される5月のイベントにはセーフテイーチームに参加することになっています。

「自分はまだまだやっていゆく自信があるが、若いスタッフたちは優秀で私がいなくてもりっぱにやって行ける。何年か前に同僚のボブ・ドーランと話をしたが自分たちがもし作業中に怪我をしたりすれば若手に迷惑がかかる。若手にすべてを任せる時が来たと決断しました。」とイェイツ氏は語っています。

インディカーは専任のセーフティーチームをシーズン中帯同させた初めてのレースカテゴリーで、ドライバーがクラッシュしてもすぐさま駆けつけるオレンジ色の制服を着たセーフティチームスタッフの姿を見るとクラッシュしたドライバーもすぐに状況を把握して落ち着き安心感をもたらしたといいます。

昨年の5月にインディ500の練習中に大クラッシュしたJヒンチクリフは「彼らのお世話になったことがないドライバーは一人もいない。マイク・イェイツとセーフティーチームがいつもいるからこそ我々はレースに集中することができる。」と語っています。

しかしながら、イェイツ氏はDウェルドン、Jウィルソン、Sブレイトンの現場にも居合わせ、ウェルドンを失った時には辞職する覚悟をしたといいます。しかし、そのオフシーズンテストで多くのドライバーから慰留するように言葉を受けたといいます。

凄惨な事故現場のシーンは決して彼らの脳裏から離れることがないという中で、少しでも安全性を高めようと彼らの努力は続けられてきました。去年のヒンチの大事故でヒンチが命を取り留めたのもイェイツ氏をはじめとするセーフティーチームの妥協のない訓練と努力の結果であることは間違いありません。

イェイツ氏の前任のデイブ・ブラウン氏がリーダーを務めていた時から何回かGAORAではセーフティーチームの取材やインタビューをしてきましたが、彼らの仕事ぶりや努力には本当に頭が下がります。

ファイアストンのDハリグル氏がインディカーの現場を後に

2016年09月24日



ファイアストンのチーフエンジニアであるデイル・ハリグル氏は22年のインディカーの現場で仕事を果たしてきましたが、先週のソノマを最後にインディカーの現場を離れます。

1994年からレーシングタイヤを担当してインディカーの現場にいましたが、今後は市販車部門に異動となります。

ハリグル氏はソノマでのレース終了後に全ドライバーのサインが入った記念の額が同僚から贈呈されました。

ハリグル氏がファイアストンタイヤに配属された1994年当時は翌95年からのインディカー参戦復帰準備の真っ最中で「当時は全く先が読めない状況だった。」と語っています。

ファイアストンは1975年にインディカーでの活動を休止し、20年間のブランクを経て1995年シーズンにインディカーシリーズに復帰。パトリックレーシングのスコット・プルーエットがミシガンインターナショナルスピードウェイで最終ラップにAアンサーJr.をパスしてファイアストンに復帰後初優勝をもたらしています。

翌1996年はインディカーシリーズとCARTシリーズにタイヤを供給し、インディ500ではバディ・ラジアが優勝して1971年にアル・アンサーSr.が2勝目をあげて以来の勝利をファイアストンにもたらしました。

今後はピックアップトラックやSUVなどの市販車タイヤを担当するハリグル氏ですが、「信号機が2つしかないようなペンシルバニアの小さな町の生まれだったのに、この仕事について日本やブラジル、ヨーロッパやオーストラリアにも行き、ファイアストンやインディカーでの仕事はスタッフにも恵まれ素晴らしいものであった。」と語っています。

ハリグル氏には何度か現場でインタビューしていますが、奥様は名古屋出身の日本人だそうで、親戚の皆さんはGAORAを見ていると伺っています。

長らくお疲れ様でした。