バーンハートがハーディングレーシングの社長に就任

2017年12月01日



この24年間、インディカーの主要スタッフを務めてきたブライアン・バーンハート(校長先生)がハーディングレーシングの社長に就任することが決まりました。

バーンハートは長らくインディカーのレースコントロールスタッフとしてレースディレクターを務め、レース中に粗相のあった松浦選手などがレース後にバーンハートに(校長室に)呼び出されていました。

その前はチームメカニックとしてギャレス・レーシング、チーム・ペンスキー、パトリック・レーシングに所属し、アル・アンサーと共にインディ500のビクトリーレーンに2回足を踏み入れています。

その後はインディアナポリスモータースピードウェイからインディカーに所属し、1997年から2011年までの14年間レースディレクターを務めた後、インディカーの競技部門の最高責任者となり、合わせて2015年からレースディレクターの職に復帰していました。

今回はチーム側からの強いオファーでインディカーを離れる決断をしたとのこと。これまでの経験を十分に生かした新しいチャンレンジにモチベーションを高めています。

2019シーズンにメキシコでの開催を検討中

2017年12月01日



インディカーはメキシコシティでのレース開催を検討中であることを発表しました。レース開催は2018シーズンではなく、2019年初旬にエルマノス・ロドリゲス・サーキットでの目指すとしています。

ジム・ネイバーズ氏が亡くなる

2017年12月01日



インディ500レース前に行われる「バックホーム・アゲイン・イン・インディアナ」の熱唱で有名だったジム・ネイバーズ氏が現地11月30日にハワイの自宅で亡くなりました。87歳でした。

ネイバーズは1972年から2014年までの36回にわたって”バックホームアゲイン”を独特のバリトンボイスで独唱していました。

そのきっかけは1972年にスポンサーのゲストととして招かれたインディ500。それも決勝レース日の朝、セレモニー開始直前に突然に独唱を依頼されたというものでした。ネイバーズは突然のオファーにアメリカ国歌を歌うものと勘違い。実は”バックホームアゲイン”を歌うことをその後に知り、歌詞を知らなかったネイバーズは手のひらに歌詞をあわてて書き込んで歌ったという逸話があります。

ネイバーズの歌は好評で、1973年大会以降も歌を熱唱。途中何度かスキップした年もありましたが、1987年から2014年までの28年間は2007年と2012年を除いてプリレースセレモニーを盛り上げました。2007年と2012年は病気でハワイの自宅で療養となり、会場内の全員での合唱となっています。

最後のステージとなった2014年はそのまま歌の直後にマリー・ハルマン・ジョージ氏と共にスタートコマンドを発しています。

たびたびネイバーズはレース前の土曜日のパレードが終わるとスピードウェイ内の博物館のギフトショップを訪れては観客とスタッフの歓迎を受けて握手やサインに応じていました。

R.I.P.