「シンプソン」創業者のビル・シンプソンが亡くなる

2019年12月17日



元レーシングドライバーでインディ500にも1回出走し、その後はヘルメットやレーシングスーツなどの開発販売でレース界の安全性の向上に大きく貢献した「シンプソン」創業者のビル・シンプソンが12月16日に78歳で亡くなりました。

シンプソンはレーシングドライバーとしてドラッグレース、スポーツカーレース、オープンホイールレースと様々なレースに参戦。インディカーには1968年から1977年の間に52レース出走し、11回のTOP10フィニッシュを記録し、1970年のミルウォーキーでは6位のベストリザルトを残しています。

南カリフォルニア出身のシンプソンは1974年のインディ500では予選を20位で通過。イーグル-オッフィーを駆って13位フィニッシュしました。その後は1967年のオンタリオ500で同郷のリック・メアーズにレースカーを提供するなどしています。

シンプソンが現役引退を決意したのは1977年インディ500の練習走行中のことで、200mphで走行するレースカーの安全性に疑問を呈したシンプソンは高い安全性を維持するためのレース関連用品の開発に専念することを決意。シンプソンが開発したヘルメットはF1ドライバーのクレイ・レガッツォーニが使用するなどしてその評判は直ちにレース界に広がりました。

10代のころからドラッグレースに参戦してきたシンプソンは18歳の時にクラッシュして両腕を骨折ことをきかっけに、レースでの安全性向上の必要性を痛感。その怪我の治療中にガレージ内に大型ミシンを持ち込んで減速用パラシュートの改良に着手し、減速用パラシュートメーカーの「シンプソン・っドラッグシュート」を設立しました。

その会社はのちに200種類以上ものレース用品を開発製造販売する「シンプソン・パフォーマンスプロダクツ」と「インパクト・レーシング」に成長し、ヘルメットやグローブ、スーツやシートべルト他、様々なシンプソン製品は世界中で使用されるようになっています。

シンプソン最大の功績は1967年に耐火素材のノーメックス製のレーシングスーツの制作で、当時の最先端素材だったノーメックスはNASAでアポロ計画に宇宙飛行士として参加し、大のクルマ好きでもあったピート・コンラッド(のちのアポロ12号機長)からシンプソンに紹介されて商品化が実現しました。

シンプソン自らがそのレーシングスーツとグローブなどを身につけて火だるまになっている広告写真は有名で、シンプソンのノーメックス製耐火レーシングスーツは瞬く間にレース界に普及しました。

シンプソンがレース界にもたらした安全性の向上は目覚ましいもので、その功績が評価されて2003年にはアメリカモータースポーツの殿堂入り、2014年にはインディアナポリスモータースポーツウェイでの殿堂入りを果たしています。

シンプソンはこれらレース用品の開発の裏話を2冊の著書「人生は危険でもレースは安全に」と「火だるまになって」にまとめています。

R.I.P